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2009年塾通い
今から3年前の2009年、僕は絶賛休学中、ニート中でした。
そのときの僕は半年間の薬局でのバイト(このときのことにもいずれ触れようと思っています)を終えて、一応完全なる引きこもりからは脱出していましたが、どうしたらよいのか分からず毎日ただだらだらと過ごしていました。
心の中はいつも焦りでいっぱいでした。目の前を゛人生終了”という文字がちらついていました。
そしてついにそのときがやってきました。僕は気が付いてしまったのです。「今から動き出さなければ本当に人生が終わるぞ」という自分の心の声に。
僕は考えました。髪の毛を手でグシャグシャやりながら、必死で自分の人生について考えました。そしてたどり着いた答えが、とりあえず大学に行ってみようというものでした。
とはいえ、現在休学中の東京の大学に戻る気は全くなかったので、地元の大学にしぼることにしました。僕は前の大学を二回生までは終えていたので、三年次での編入を狙うことにしました。
受験に必要な科目を調べてみると、僕が狙っていたほとんどの大学に英語と小論文の試験があることが分かりました。英語はともかく小論文の勉強は独学ではきついと思ったので、誰か指導してくれる人を探すことにしました。
そして僕は××私塾に通うことになったのです。2009年の8月の終わりのことでした。
僕は××私塾の塾長から小論文を教わることになりました。この塾長は控えめに言ってけっこう変わった人でした。というか、当時の僕には嫌味な人に思えました。
まず、僕たちの受けた学校教育(いわゆるゆとり教育)がいかに間違ったものであるかをさんざん説教されました。ゆとり教育を受けた若者が、いかに甘ちゃんで、根性がなくて、礼儀を知らないかみたいなことをえんえんと話すのです。
「僕は小論文の書き方を教わりたいのに、なんでこのじいさんはこんなわけのわからないことを延々と話すんだろう。こんなの僕が志望する大学の小論文のテーマとは全然関係ないじゃないか。こんなので本当に大丈夫なのかな」みたいなことを僕は思っていました。
でも僕のような特殊な条件の生徒(22歳、小論文受講希望)を受け入れてくれる塾がほかにあるとも思えなかったし、それに僕の心の中のどこかに、この塾長を信じてみようというという気持ちがあることに僕自身が気づいていたので、腹をくくって塾長の講義(説教)を聞いて、小論を書く練習をしました。
結果、僕は第一志望の大学に落ちました。僕は複数の大学を受験したので、一応進路は決まっていたのですが、一番入りたかった大学に受かることはできませんでした。
なんで落ちたんだろう。そのときはただ不思議でした。なぜなら自分でも驚くほどに、試験がよくできたと思っていたからです。受かったと確信してしまうほどに。
第一志望の大学に合格することはできませんでしたが、あの塾で教わったことは、僕にとって今でも大きな意味を持っています。
これまで受けてきた教育の中で、最も大切なことをあの塾長は教えてくれました。それは、゛ものを考えること、自分の意見を持つこと”です。
゛物事を見て、自分なりの意見をもつこと、解釈をくだすこと”これができないと論文を書くのは難しいと思います。
塾長は、彼の独自の方法で、僕に自分でものを考えるくせ、見るくせを植え付けようとしてくれていたんだということが今ではよくわかります。
僕たちは小さな決断をくだしながら毎日を生きています。決断をくだすうえで、塾長の教えてくれたことはとてもとても役に立っています。
英語を教えられる人はたくさんいます。数学を教えられる人もたくさんいるでしょう。でも、自分の目でものを見ること、常識を疑うことを教えられる人はそんなに多くはないと思います。
僕は、運よく出会うことができました。本当に幸運だったと思っています。
ところで、その塾長はかなり不健康そうな人でした。もういい年だったし、タバコをひっきりなしに吸っていました。歯も何本か抜け落ちていました。塾長元気かなあ。もう一度会ってあのときのお礼を言いたいなあ。
そのときの僕は半年間の薬局でのバイト(このときのことにもいずれ触れようと思っています)を終えて、一応完全なる引きこもりからは脱出していましたが、どうしたらよいのか分からず毎日ただだらだらと過ごしていました。
心の中はいつも焦りでいっぱいでした。目の前を゛人生終了”という文字がちらついていました。
そしてついにそのときがやってきました。僕は気が付いてしまったのです。「今から動き出さなければ本当に人生が終わるぞ」という自分の心の声に。
僕は考えました。髪の毛を手でグシャグシャやりながら、必死で自分の人生について考えました。そしてたどり着いた答えが、とりあえず大学に行ってみようというものでした。
とはいえ、現在休学中の東京の大学に戻る気は全くなかったので、地元の大学にしぼることにしました。僕は前の大学を二回生までは終えていたので、三年次での編入を狙うことにしました。
受験に必要な科目を調べてみると、僕が狙っていたほとんどの大学に英語と小論文の試験があることが分かりました。英語はともかく小論文の勉強は独学ではきついと思ったので、誰か指導してくれる人を探すことにしました。
そして僕は××私塾に通うことになったのです。2009年の8月の終わりのことでした。
僕は××私塾の塾長から小論文を教わることになりました。この塾長は控えめに言ってけっこう変わった人でした。というか、当時の僕には嫌味な人に思えました。
まず、僕たちの受けた学校教育(いわゆるゆとり教育)がいかに間違ったものであるかをさんざん説教されました。ゆとり教育を受けた若者が、いかに甘ちゃんで、根性がなくて、礼儀を知らないかみたいなことをえんえんと話すのです。
「僕は小論文の書き方を教わりたいのに、なんでこのじいさんはこんなわけのわからないことを延々と話すんだろう。こんなの僕が志望する大学の小論文のテーマとは全然関係ないじゃないか。こんなので本当に大丈夫なのかな」みたいなことを僕は思っていました。
でも僕のような特殊な条件の生徒(22歳、小論文受講希望)を受け入れてくれる塾がほかにあるとも思えなかったし、それに僕の心の中のどこかに、この塾長を信じてみようというという気持ちがあることに僕自身が気づいていたので、腹をくくって塾長の講義(説教)を聞いて、小論を書く練習をしました。
結果、僕は第一志望の大学に落ちました。僕は複数の大学を受験したので、一応進路は決まっていたのですが、一番入りたかった大学に受かることはできませんでした。
なんで落ちたんだろう。そのときはただ不思議でした。なぜなら自分でも驚くほどに、試験がよくできたと思っていたからです。受かったと確信してしまうほどに。
第一志望の大学に合格することはできませんでしたが、あの塾で教わったことは、僕にとって今でも大きな意味を持っています。
これまで受けてきた教育の中で、最も大切なことをあの塾長は教えてくれました。それは、゛ものを考えること、自分の意見を持つこと”です。
゛物事を見て、自分なりの意見をもつこと、解釈をくだすこと”これができないと論文を書くのは難しいと思います。
塾長は、彼の独自の方法で、僕に自分でものを考えるくせ、見るくせを植え付けようとしてくれていたんだということが今ではよくわかります。
僕たちは小さな決断をくだしながら毎日を生きています。決断をくだすうえで、塾長の教えてくれたことはとてもとても役に立っています。
英語を教えられる人はたくさんいます。数学を教えられる人もたくさんいるでしょう。でも、自分の目でものを見ること、常識を疑うことを教えられる人はそんなに多くはないと思います。
僕は、運よく出会うことができました。本当に幸運だったと思っています。
ところで、その塾長はかなり不健康そうな人でした。もういい年だったし、タバコをひっきりなしに吸っていました。歯も何本か抜け落ちていました。塾長元気かなあ。もう一度会ってあのときのお礼を言いたいなあ。
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